過剰包装する日本に生まれたゆえの価値観
兄夫婦から北欧旅行のお土産をもらった。
美味しそうなチョコケーキ。
可愛らしい外箱をひと通り眺めて開け口を確かめいざオープン。
深めのプラ容器に大福サイズくらいのケーキ6個が裸のまま箱の中で可愛らしくおさまっていた。
一個ずつビニールで包まれていたりざっくりと蓋がされていることを想像していただけに最初に頭をよぎったのは湿気の被害とか外箱がチョコで滲みてないだろうかということ。
ここで日本のお土産のチョコケーキだったらどうだろうか。
まずチョコケーキを覆う薄めのビニールで一個ずつ保護。
その内側か外側に美味しく保つために乾燥剤なども入ってくるだろう。
そしてさらにはその商品が何者なのかという商品の名前入りのビニールで着飾ったお菓子をみるのはよくあること。
さらには潰されないようその子たちをプラの敷き物の上に乗せずれないような工夫も施されている。
次はようやく紙箱登場するものの
紙箱だけではおもてなしがまだ足りないようだ、素敵な包装紙も欠かさない。
こんなおもてなしばかりみて育つと外箱開けてこんにちは状態の文化の違いに戸惑ったがこれくらいの包装が理想。
この国中のヒトが梱包に沢山のエネルギーが使われていることに疑問を持てるようになったら変わってくるのだろうか。
私のように衛生的にとか思ってしまっている時点で難しいだろう。